大垣城

更新日:2018年12月7日

築城に諸説があり、1500年に竹腰尚綱によって、あるいは1535年に宮川安定によって築かれたとも言われています。1600年の関ヶ原の戦い時には石田三成らが入城し西軍の本拠となるも西軍は敗北し落城。江戸時代には最初に石川氏、その後は戸田氏の長い治世を経て明治を迎えました。

明治の廃城令後も天守を始め一部建物は破却を免れていましたが、1945年の大垣空襲において消失してしまいました。戦後、1959年には天守が、1967年には乾櫓が外観復元されましたが、観光用に窓が大きく造られた為、2011年にさらに外観を史実に近づける改修が行われました。

基本情報

読み方 おおがきじょう
別名 麋城 巨鹿城
住所 岐阜県大垣市郭町2-52
電話番号 0584-74-7875
公式サイト こちら
城郭構造 連郭輪郭複合式平城
天守構造 複合式層塔型3重4階
築城主と築城年 竹腰尚綱 1500年
主な城主 竹腰氏・氏家氏・伊藤氏・岡部氏・久松松平氏・戸田氏
廃城年 1871年
営業時間 9時~17時
定休日 火曜日(祝日の場合は翌日) 祝日の翌日(日曜日または火曜日の場合は翌日、月曜日または土曜日の場合は翌々日)
入場料 一般100円 18歳未満無料
駐車場 ×
アクセス JR大垣駅南口から徒歩7分

口コミと評判

20代男性

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20代女性

●●大垣城は昭和20年の戦火で焼失してしまいましたが、焼失する以前は旧国宝に指定されていたお城だったそうです。後に再建され今の姿があります。水堀が何重にも張り巡らされていて、櫓も10以上あり、敷地は今の3倍以上はあったと言われています。その姿を見ることができないのはとても残念ですが、大垣城の中にある展示室で貴重な資料を見ることができます。私が一番興味深かったのは火縄銃や弓などを実際に触ることができたことです。火縄銃を実際に手に持ち構えてみるとワクワクしました。弓は自分の身長よりもずっと高く、バランスを崩してうまく持てないような気がしたので、持ちませんでしたが、資料に触ると実際にこれを持って戦っていた人がいたんだと胸が熱くなりました。また、関ヶ原の戦い以前に書かれた連署の資料も、有名な武将の名前が連ねてあり、この連署が書かれた時にはまだ関ヶ原の戦いは起こっておらず、勝敗もまだ無い時だったんだと思うと、感慨深い気持ちになりました。

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30代女性

●●大垣駅を出て、駅前の商店街をしばらく歩くと、大垣城と大垣公園があります。見ごろはやはり桜の季節です。満開の桜と、白いお城がとても絵になります。昭和20年7月29日の大垣空襲で焼失してしまったため、残念ながら復元のお城です。お城の中は、博物館になっており、展示物、映像などが見られます。最上階は展望室になっています。ウォーキングコースのついでなのでしょうか。観光客の方もよく見かけます。大垣城は歴史的建造物というよりは、地元の人には公園として親しまれている印象で、大垣公園の遊具はいつも子ども達でにぎわっており、芝生は散歩する人たちや、ペットを連れた人たちが多く見られます。商店街は少しさみしい印象ですが、飲食店も少ないながらあります。老舗和菓子店で、夏はかき氷も楽しめます。駅前の散策とともに休憩することもできます。

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