甲府城

更新日:2018年12月7日

武田氏滅亡後、武田氏の一族の館があった場所に築城が始められ、一時的な中断を越え1590年代前半には完成したと言われている山梨県唯一の近世城郭です。完成後は甲斐の政治的中心となり、江戸時代には将軍連枝などが城主になるなど重要な城となりました。

天領となった後は幕府の甲府勤番が在城しましたが、1727年には大火で本丸御殿などが消失、明治に入ると廃城となり、ほとんんどの建物は取り壊されました。城跡は鶴舞公園として整備されており天守台を含む石垣や堀などが残っており、2003年には稲荷櫓、2007年には山手渡櫓門が復元されています。

基本情報

読み方 こうふじょう
別名 舞鶴城 一条小山城
住所 山梨県甲府市丸の内1丁目
電話番号 055-227-6179
公式サイト こちら
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 不明
築城主と築城年 徳川家康 1583年
主な城主 浅野氏・徳川氏・柳沢氏
廃城年 1873年
営業時間 9時~17時
定休日 月曜日(祝日は開館)
祝日の翌日
入場料 無料
駐車場
アクセス JR中央線甲府駅南口から徒歩5分

口コミと評判

20代男性

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20代女性

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30代男性

●●駅からは少し離れた場所にあり、甲府駅北口から歩いて20分~30分くらいです。歴史好きな方には躑躅ヶ崎館として名前が知られている場所だと思います。武田勝頼が新府城に移るまで武田氏の拠点として機能していました。現在は跡地に武田神社が建てられており、お正月はたくさんの初詣客が訪れるなど地域に親しまれる神社となっています。館の周りの水堀は現在も神社を囲っており、神社側の宝物殿には武田信玄だけでなく武田二十四将図など武田氏家臣の資料なども展示されています。4月には命日にちなんで"信玄公祭り"も行われ、武田神社で出陣の儀式を行ったりもしています。天守閣はありませんが、当時の雰囲気を感じることができる場所となっています。

30代女性

●●現地や周辺では甲府城というと、ピンときません。どちらかというと、別名、通称名である舞鶴城として親しまれています。この城は武田一族が滅亡した後に、徳川家康が作った城です。すごい面々が関わっているお城ですが、残念ながら城は残っていません。今は公園として整備されており、石垣、お堀、門跡、本丸跡など、お城の雰囲気を残しています。ただ、整理されたとはいえ、広大な敷地を感じることができて、当時の徳川家の勢いを実感できます。ちなみに今の公園は当時の城の一部だそうです。石垣がずらっと続く光景は想像をかきたてますね。現在は城跡の雰囲気を生かした公園と、歴史公園との2つの公園に分かれています。どちらも無料で楽しめます。両方とも甲府駅のすぐ脇なのですが、ここだけは街の喧騒から切り離される空間だと思います。

40代男性

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40代女性

●●甲府城・舞鶴城と呼ぶほうが地元ではなじみがあります。甲府駅のすぐそばにあり、舞鶴城公園として、桜の名所となっています。毎年4月には信玄公まつりが開催されていて、甲州軍団出陣は毎年見に行っています。今年はちょうど桜が満開の時で、勇壮な姿と満開の桜がとてもきれいでした。お城の天守閣は残っていませんが、基礎部分は残っていました。近年、城門や櫓が復元されていて、鉄門(くろがねもん)は石垣の下から見るととても立派な門構えです。鉄門の2階部分には上ることができ、小さな展示スペースとなっています。休日にお城へ行くと、「甲府城御案内仕隊」という案内ボランティアがいて、いろいろと案内してくれて面白い話も聞くことができます。ときどき、お侍さんに出会うこともあります。

50代男性

●●甲府駅のすぐそばに跡地が残っているレベルの甲府城ですが、ここは豊臣秀吉が徳川家康に対抗する為に築城したとされる由緒正しい名城の跡地と言えます。今でも城壁などは残っていますが全体的には公園のような感じになっています。行ってみるとお堀も残っていてもとお城であった雰囲気は十分に残っていて元の本丸があった所までは結構な坂を登って行くようになります。登ってみるとその見渡せる景色は甲府市内はおろか、かなり遠くまで見えて防衛のための拠点として機能していた事が感じられます。場内には所々にマークがつけられた石があるのでそれを見つけるのも結構楽しみの一つだと思います。今をもってもその印はなぜつけられたのかわからないそうで、その辺のミステリアスな部分も魅力の一つだと思います。そして矢穴と呼ばれる石切場の跡地などもよくみるとあるのでその当時の石割技術を垣間見る事もできます。

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