篠山城

更新日:2018年12月7日

1608年、徳川家康の命によって松平康重が築城しました。この篠山の地は山陰道の要衝に位置する為、豊臣氏をはじめとする西国大名の抑えの城としての意味を持っていました。

天守台はありますが天守は持ちませんでしたが、築城の名手、藤堂高虎の縄張りで堅牢な城郭となりました。1871年に廃城になり、二の丸の大書院は取り壊しを免れましたが、1944年に失火してしまい焼失、2004年に再建されました。

基本情報

読み方 ささやまじょう
別名 桐ヶ城
住所 兵庫県篠山市北新町2-3
電話番号 079-552-1111
公式サイト こちら
城郭構造 輪郭式平山城
天守構造 ×
築城主と築城年 徳川家康 1609年
主な城主 松平氏・青山氏
廃城年 1871年
営業時間 9時~17時
定休日 月曜日(祝祭日の場合は翌日休館)
入場料 一般400円 高大生200円 小中学生100円
駐車場
アクセス 「二階町」バス停より徒歩5分

口コミと評判

20代男性

●●募集中です!

20代女性

●●篠山城には、昨年の11月程度に車で訪れました。昔ながらの街並みがいきなり拓けるとそこに城址が。城入り口の向かいには大手門土塁跡もあり、そこだけ別世界のようでした。2つに挟まれた道は整備され、車でも走りやすかったですが、ひとたび角を曲がるといきなり細い道になり、なれない観光客には走りづらかったです。一周したものの駐車場が見つからなかったので、恐る恐る城敷地内へ入ると駐車場があり、ほっとしたのを覚えています。1回200円と大変リーズナブルでした。繁忙期で無かったせいか、駐車場は比較的空いていました。城の周りにも敷地内にも子供たちがたくさんいて、地元民に愛されている場所であることがうかがえました。城内は緑が多く、散策するだけで心が洗われるような、癒されるような気分となり、リフレッシュできました。城外は、一部城下の街並みがそのまま残されているところがあり、各建物がリノベートされておみやげ物屋やカフェになっているので散策も楽しめました。

30代男性

●●篠山城には数年前に訪れました。関が原の合戦後に徳川家の支配が確立したさい、西国へのにらみをきかせる要衝として天下普請で建築された名城です。篠山城に登ると石垣からも当時はかなりの大規模であったことがうかがえました。天守台の付近まで自動車であがれるようになっているのですが、江戸時代にも天守閣は建造されることなく、今は復元された大書院が往時を伝えています。明治時代に廃城となって以降は、藩校が置かれるなどして活用されてきました。天守台からは篠山の町並みを見下ろすことができます。城下町の篠山は山間の小さな町。かつては要衝とされた町も、のどかな風情が漂っています。篠山の町並みを眺めていると歴史の移り変わりを感じずにはられませんでした。

30代女性

●●兵庫県篠山市にある篠山城は周りを雄大な自然と山々に囲まれた素晴らしいところにあります。お城自体は残っておらず今は大書院とお堀、城郭のみとなっています。大書院は火事で一度消失したので今の大書院は再建されたものですが、中は資料館になっており篠山城にまつわる様々なものがおいてあります。お城があった場所は今は基礎部分に説明がかかれており今自分が立っているところがお城のどの部分だったのかがわかるようになっています。天守閣部分から見る景色は眺めが大変よく、360度自然でとても癒されます。また大書院の横には神社がありました。大きな木に囲まれてなんだかとても神秘的なものを感じます。お城の周りにはお土産屋さんやお食事処が固まっているのであちこち動き回らなくても集中して観光することができます。何回も行っていますがいつも心がほっとする不思議な場所で大好きなお城です。

40代男性

●●城自体は天守閣もなく地味な印象です。ただ、大書院が再現され、石垣、堀、周辺の各武家屋敷は健在。河原町の妻入り商家群など、昔ながらの城下町の風情が色濃く残っているのがうれしいです。春は桜。夏はデカンショ祭り。秋は松茸、黒豆、丹波栗、青山藩御用達の菊。冬は牡丹鍋。とまあ、季節とりどりの名物は欠かせません。最近は3月のABC篠山マラソン。9月は古い町並みを利用した街並みアートフェスティバル。など、新たなイベントも目白押しとなっております。丹波篠山は元、山陰道・山陽道・京への要衝。青山藩の治めた親藩なんですね。その為領民は誇り高くて、保守的で、おかげで昔ながらの街並みが残る原因ともなっております。丹波篠山というブランド意識が高く、今は篠山市なんですが、「これじゃお隣の丹波市、京丹波市、南丹市などとまぎらわしい」として、「丹波篠山市に改名しよう」と運動が盛り上がっております。

40代女性

●●募集中です!

50代男性

●●募集中です!

50代女性

●●募集中です!

60代~男性

●●私が篠山城を訪れたのは、今から30年程前です。大阪事務所の慰安旅行の場所をどこにするか話し合っていた時に、当時の所長さんが、兵庫県に自分の出身高校と同じ名称がついた学校があるので、その地を訪ねてみたいとの提案があったのでそうすることにしました。所長さんの出身高校は、秋田県の県北にある大舘鳳鳴高校、名称が同じ学校は、篠山鳳鳴高校、当時は篠山町で、早速計画を立てて私の車で出かけたという次第です。篠山に着いて、所長さんは篠山鳳鳴高校を訪ねましたが、私以下3名は篠山城に行くことにしました。車で城に近づいた時に「天守はおろか、建物が何も無いね」と皆が口を揃えて言いました。現在は大書院が復元されて城内に建物がありますが、当時は全くありませんでした。大阪城や姫路城等をイメージして行ったたものですから、意外な感じがしました。3人で城内に入り、散策しながら天守後に行って見て、ここに城を築いた理由が分かるような気がしました。そこからは四方がよく見え、敵の動向がよく把握できる場所だとの思いがしました。徳川家康がここに築かせたのですが、さすが家康と思ったものです。城址を見た後、篠山腸内のお店を見て所長と合流し、その日の宿泊地の城崎温泉にに向かいました。

60代~女性

●●募集中です!

ページの先頭へ