飫肥城

更新日:2018年12月7日

詳しい築城年は不明ですが、宇佐八幡宮の神官だった土持氏が南北朝の頃築城したと言われています。1484年には伊東氏が土持氏から飫肥城を奪うと、以後、伊東家と島津家の間に激しい争奪戦が繰り広げられました。

最終的には豊臣秀吉の九州征伐に付き従った伊東氏が飫肥城を回復、以後明治まで伊東氏の居城となりました。明治に入り廃城となり、遺構としては石垣や空堀が残り、1978年には樹齢100年を超える飫肥杉を使って大手門が復元されています。

基本情報

読み方 おびじょう
別名 ×
住所 宮崎県日南市飫肥10丁目1-2
電話番号 0987-25-4533
公式サイト こちら
城郭構造 群郭式平山城
天守構造 ×
築城主と築城年 土持氏 戦国初期
主な城主 土持氏・新納氏・伊東氏
廃城年 1871年
営業時間 ×
定休日 ×
入場料 ×
駐車場 あり・無料
アクセス JR日南線飫肥駅から徒歩15分

口コミと評判

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●●飫肥藩・伊東氏5万1千石の城下町として栄えた飫肥。当時、伊東氏と島津氏の攻防が長い間続いたという城跡では難攻不落を誇った石垣や大手門の前の広い石段が残されています。永禄11年にいは伊東義祐が攻防に成功し、子の祐兵を領主としたとされています。伊東氏没落後は島津家過信の上原長門守が配されたそうです。豊臣氏の九州平定後は再度伊東祐兵が入り、以後飫肥藩累代の居城となったとされています。大手門は昭和53年に復元され、多くの人々の撮影スポットになっています。大手門から城址へ歩みを進めると、苔むす石垣と緑の木々に囲まれた一角があり凛とした空気が流れています。かつて城は松尾の丸など9つの城を配した平山城でした。現在は飫肥小学校の建つ城内左手に飫肥杉を使い、江戸時代の城郭を再現した松尾の丸があります。主君のみがお成りになる「主玄関」、格式のある「御座の間」などが再現されています。

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