湯築城

更新日:2018年12月7日

詳細な築城年は不明ですが建武年間(1334~1338年)頃、本拠の河野郡より移ってきた伊予の守護・河野通盛によって築城されたと伝えられており、以後河野氏累代の城となります。1585年には豊臣秀吉の四国征伐軍によって包囲され、篭城戦の末この城に拠っていた金子元宅は降伏し落城しました。

1587年にこの城の城主であった福島正則が本拠を国分山城に移した為廃城となりました。現在は県立道後公園となり土塁や堀などの遺構が残っています。

基本情報

読み方 ゆづきじょう
別名 ×
住所 愛媛県松山市道後公園
電話番号 089-941-1480
公式サイト http://www.dogokouen.jp/
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 ×
築城主と築城年 河野氏 14世紀前半
主な城主 河野氏・小早川氏・福島氏
廃城年 1587年
営業時間 9時~17時
定休日 月曜日(祝日の場合は翌日)
入場料 無料
駐車場 あり・有料
アクセス 道後公園駅より徒歩すぐ

口コミと評判

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●●四国松山と言えば、松山城と道後温泉が有名ですね。お城ということになれば、この町には面白い特徴があります。 わずか2キロほどしか離れていない距離に、近世のお城である松山城と、中世の城郭跡である湯築城が当時の雰囲気をそのまま残して共存しているのです。 湯築城跡は道後温泉の近くにあり、市民からは桜の名所「道後公園」として親しまれてきました。 けれども中世からの本丸跡とみられる丘陵地と、その周囲を囲む土塁と堀はそのまま残っています。 丘陵地の上には展望台もあり、近所の住民が気軽に散歩をしているのを見ることができます。 近年は発掘作業もすすみ、武家屋敷跡なども復元されています。 戦国の動乱の中、伊予の国の守護大名であった河野氏はすっかり衰え、歴史の中にその姿を消してしまいました。 しかし、その居城は破壊されることもなく、現在に至るまで当時の風情を残しているのです。 河野氏は伊予水軍を束ねる存在でもあり、元寇のときには小舟を率いて元の船団に夜襲をかけたりしたほどです。 そんな水軍の大将でもあった河野氏ですが、今となっては内陸に存在する湯築城に本拠を置いたのを不思議がる人もいます。 けれども近年の研究では、湯築城と瀬戸内海は河川を通じてつながっていたのではないかという説もあるようです。 中世の城でここまで原形をとどめている城も珍しいのではないでしょうか。

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