若松城

更新日:2018年12月7日

会津地方を長く治めていた蘆名氏の当主・蘆名直盛によって1384年に作られた東黒川館、そして拡張された黒川城が始まりと言われています。

その後、伊達政宗の領有を経て、転封されてきた蒲生氏郷によって大改修が行われ地名も「若松」と改められました。1593年に天守が作られると同時に「鶴ヶ城」に改名、さらに変遷の後、1643年以降は保科氏(松平氏)の居城となりました。

戊辰戦争では最大の激戦が繰り広げられ、新政府軍相手に落城はしませんでしたが降伏開城、その後取り壊されました。現在の天守は1965年に外観再建復興され、内部は若松城天守閣郷土博物館となっています。

基本情報

読み方 わかまつじょう
別名 鶴ヶ城 会津若松城 黒川城
住所 福島県会津若松市追手町1-1
電話番号 0242-27-4005
公式サイト http://www.tsurugajo.com/
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 層塔型5重5階
築城主と築城年 蘆名直盛 1384年
主な城主 蘆名氏・伊達氏・蒲生氏・上杉氏・加藤氏・保科氏・会津松平家
廃城年 1874年
営業時間 8時30分~17時
定休日 無休
入場料 一般400円 小中学生150円
駐車場 200台以上・有料
アクセス 「鶴ヶ城北口」バス停より徒歩5分

口コミと評判

20代男性

●●実家が福島なので、よく見学に行っていました。戊辰戦争で大砲によって破壊され、その後昭和になって改築された比較的新しいお城ですが、そびえ立つ美しさ、大きさはまさに東北屈指です。遠くからでもお城の姿を眺めることができ、特に飯森山からの眺めは、さながら白虎隊の隊士の気分にさせられます。最近は瓦がリニューアルされて、戊辰戦争で破壊される前の様相により近くなっていて、幕末以前はこんな景色だったのかと、感慨深くお城を眺めることができました。お城からの眺めは、特に春の桜が満開の季節は最高です。鉄門もオススメです。重厚な鉄の門は、官軍をギリギリまで食い止めていたことがわかります。立派な石垣とお堀も東北屈指の美しさです。戊辰戦争の際の崩れた写真を天守閣内で見ることができますが、あれからこうして今の姿に美しく復元されたことは非常に感慨深く感じさせられます。

20代女性

●●福島県の会津若松市にあるお城で、鶴ヶ城という愛称で知られています。お城の近くは自然で溢れており、私は11月に訪れたのですが、見事な紅葉を見ることができました。真っ赤なもみじと、白いお城とのコントラストが素敵で、写真を撮っている観光客の方が、私以外にもたくさんいました。お城の中は4つのフロアに分かれており、1~3階までは、若松城の歴史や、会津の偉人についての展示を見ることができます。戊辰戦争や白虎隊の悲劇についての理解が深まりました。また、大河ドラマの八重の桜で綾瀬はるかさんが着用した衣装の展示もありました。4階は展望フロアとなっており、会津若松市内や磐梯山を一望できます。ここから見る紅葉も、格別でした。春になると満開の桜が咲き誇り、ライトアップもされるとのことですので、次回は桜の季節に訪れたいと思いました。

30代男性

●●妻の実家が会津なので、私たちにはなじみ深いお城のひとつです。若松城は戊辰戦争で重要な拠点にもなったお城なので、日本の近代化の黎明期にどのような歴史があったのかを学ぶことができるお城だと思います。若松城は、徳川幕府の中でも重要な役職を勤めた会津藩の象徴です。戊辰戦争では、最後まであきらめることなく篭城して新政府軍と戦い続けましたが、ついには降伏してしまいます。当時は大砲を打ち込まれ城壁はボロボロになったそうですが、そうした写真等も展示で見ることができます。若松城は威勢が良いというか、しゃきっとした美しいシルエットが特徴のお城だと感じました。他にも白虎隊や会津藩の歴史など見所も多く、ボランティアのガイドさんがいらっしゃるので、そうしたガイドをお願いするとより理解も深まるのではないでしょうか。

30代女性

●●大河ドラマ『八重の桜』で一躍有名になった若松城です。戊辰戦争の後に取り壊しになり、現在あるものは50年近く前に復元されたものですが、お城の敷地内にはやぐらや塀などの跡地があちこちにあり、それだけで歴史の重みを感じることができます。お城の中は歴史資料館となっており、さまざまな展示物や3Dシアターなどがあり、じっくり見ると一時間では足りないくらいの充実した内容になっています。また、八重の桜放送時には八重にまつわる展示物や資料が数多くありました。八重が使っていたとされる鉄砲のレプリカがあり、実際に触ることもできました。4月半ばごろには桜が咲き乱れ、ライトアップされた鶴ヶ城とともに見る夜桜もまた格別です。

40代男性

●●若松城は戊辰戦争の会津戦争の中心地となった有名な城ですね。天守は会津戦争で大きく破損し、その後の明治政府の意向もあって取り壊された事から、昭和40年に鉄筋コンクリートにて外見を精巧に復元されたのです。その中は郷土博物館となっていて城内は昔の面影は薄いのですが、会津若松城のシンボルともいえる赤瓦と鱗には銀箔が使われ目には2カラットのダイヤモンドが埋め込まれたシャチホコが誇らしく飾られています。本丸以外にも、南走長屋や千飯櫓・走長屋が綺麗に復元されていて当時の戦い方の一端を学ぶことが出来ましたし、走長屋は内部がお店になっていてお土産として会津の工芸品も買う事が出来ます。他にも茶道を大成した事で有名な千利休の子である小庵が建てた麟閣という茶室が本丸内に残っていて、一般の人でもお茶を楽しむことが出来ました。若松城の縄張りを巡っていると、本当に会津若松の人々から大切にされている街のシンボルだという気持ちが伝わって来る城でした。

40代女性

●●大河ドラマ「八重の桜」でも注目の集まった若松城、別名鶴ヶ城に去年の春に行きました。やはり大人気で、しかも桜の時期だったために人がいっぱいいました。現在は昭和40年代に建て直しされたそうで、当時の面影はないようですがとてもロマンティックなお城でした。壁の白さが際立ち、お城に行くまでの道中には桜が咲いていてキレイでした。幕末時代の赤瓦の天守閣としてリニューアルしたらしく、歴史があるというよりとても新しい感じでした。天守閣には登ることもできます。天守閣内は博物館になっているので、お城の歴史なども勉強できます。若松城まわりにはお堀があり、雰囲気がいいです。また茶屋やお土産ショップ、テニスコートなどもありました。

50代男性

●●親の実家が会津若松ということもあり何度か足を運びました。呼び方は別称の鶴ヶ城のほうが馴染みがあります。鶴のように凛として美しい城です。その意味では、勝手な言い分ですが赤瓦にしてしまったことに少し違和感があるんです。一帯は広い公園になっていて、桜の美しい中央の広場あたりはとても明るい雰囲気です。それだけに悲劇の城というイメージは感じられないのですが、シンボルとしてはこれでいいのでしょう。天守閣内部の博物館で歴史を知ることはできますからね。天守閣最上部からの会津若松市内の眺めは良いです。展望台として貴重でもあります。市内には一般の人が登れるような高い建物があまりないですから。在りし日を偲ぶには、周囲の掘割をじっくりとめぐるのもいいでしょう。ところどころで、地味ながら歴史を感じさせるいい風景に出会えます。無粋な柵がない場所もあって、転落には要注意です。まだ開催されるようになって日が浅いので映像でしか見たことがありませんが、鶴ヶ城プロジェクションマッピングも素晴らしいです。歴史的遺産と現代アートのコラボがいいのですよね。なにか平和の象徴という感じです。機会があれば生で見る価値あると思います。

50代女性

●●県内に住んでいたので、何回か行きました。子供も校外学習で行きました。外観も白くて綺麗だし、中でも石垣とお堀は立派でした。お城の規模としては大きい方だと思うので、見応えはあります。お城までの参道は、季節毎に花が楽しめて特に、桜の季節はライトアップもされるそうなので、とても美しいと思いました。天守閣まで上りましたが、会津の街が一望でき眺めは最高です。歴史をとても感じられるお城です。中が郷土博物館になっているので、戌辰戦争の悲劇などとても勉強になりました。白虎隊で有名な飯盛山も近くにあるので、合わせて行くと白虎隊がなぜ自害したのかなど、より理解が深まってよいと思いました。会津の街全体が歴史の町並みなので楽しめます。

60代~男性

●●募集中です!

60代~女性

●●若松城、別名鶴ヶ城をご存知ですか?現存する鶴ヶ城は平成になってから復元された国内唯一の赤瓦の天守閣をもつお城です。

歴史的には戊辰戦争の悲愴な思い出の詰まった場所ですが、桜の季節は、赤瓦と淡い桜の花びらの光景がとても幻想的です。

また幕末の歴史に興味のある方には、不器用なまでに忠義を尽くし、理不尽な時代の波に追い詰められていく会津の人々に思いをはせると、見えてくるのは、お城と景色だけでは無いかもしれませんね。

ちなみに戊辰戦争からほぼ150年経った今でも、会津の方々は、山口の萩の人々を許していないそうです。第二次世界大戦当時、空襲などの危険にあまりさらされず、さほどひどい食糧難でもなかった様で、会津の人々のこの前の戦争とは「先祖伝来の田畑を荒らした非道な長州の奴ら」と戦った戊辰戦争だそうです。

そんな想いも抱えながら、再生していった会津の鶴ヶ城を、是非桜の季節に訪れてみては如何でしょう。

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