国分城

更新日:2018年12月7日

1604年に島津義久が富隈城から移り住む為に築城され、義久死後も娘で家久の妻だった亀寿姫が別居後移り住んだりしました。さの後は城代が置かれ、大隅と薩摩に国境に近いと言うその地理上の特性から、何度もこの城への藩庁の移転議論が起きたと言われています。

1877年の西南戦争時には、参軍し指揮をとった山県有朋がこの城に駐屯していました。現在、藩士に払い下げられていた南門「朱門」が再移築されています。

基本情報

読み方 こくぶじょう
別名 国分新城 国分御屋形 舞鶴城
住所 鹿児島県霧島市国分中央2丁目5番1号
電話番号 ×
公式サイト ×
城郭構造 中世屋形
天守構造 ×
築城主と築城年 島津義久 1604年
主な城主 島津氏
廃城年 1877年
営業時間 ×
定休日 ×
入場料 ×
駐車場 ×
アクセス JR国分駅より徒歩15分

口コミと評判

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●●国分城は現在の鹿児島県霧島市国分中央にあったお城です。島津家久の正室「亀寿姫」が別居に伴い当時住んでいた鹿児島城より移り住んだと言われています。しかしながら、亀寿姫が亡くなった後の国分城は当時の藩主直轄地となり、地頭屋形が置かれていたそうです。その後、島津斉彬の時代に鹿児島城を、この国分城に移転する計画もあったが斉彬の死去に伴いお蔵入りになります。そして明治10年の西南戦争の時には山縣有朋らがこの城に駐屯したと言われています。現在の国分城は、国分小学校となり天守閣等は無く国分小学校の周囲に石垣と塀が残り、旧国分城南門で藩士屋敷に払い下げられていた「朱門」が移築されています。小学校南側の水路にはちょっとしたスペースに整備されていて、石碑なども設置されています。先ほどの赤門も近くまで行くことが出来き校庭の様子を見ることもが出来ます。

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