宇和島城

更新日:2018年9月7日

その始まりは941年の警固使・橘遠保によって築かれた砦だと言われています。その後も「丸山城」として西園寺家により使われていましたが藤堂高虎によって改修され近世城郭に生まれ変わり、1601年の完成時には「宇和島城」と改名されました。

江戸時代に入り仙台伊達家の庶子・秀宗が入国して伊予伊達家が興き、1662年には改修が行われました。明治以後も天守、大手門などは残され、大手門は空襲により焼失するも、天守は解体修理などを経て現存しています。

基本情報

読み方 うわじまじょう
別名 鶴島城 板島城 丸串城
住所 愛媛県宇和島市丸之内1丁目
電話番号 0895-24-1111
公式サイト こちら
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 独立式層塔型3重3階
築城主と築城年 橘遠保 941年
主な城主 藤堂氏・伊達氏
廃城年 1871年
営業時間 9時~16時
定休日 年中無休
入場料 一般200円 小中学生100円
駐車場 あり・有料
アクセス JR宇和島駅から徒歩25分
「南予文化会館前」バス停より徒歩17分

口コミと評判

20代男性

●●宇和島城は愛媛県の南部宇和島市の中心部に位置する平山城です。現存12天守の一つとして昔の姿を残す価値ある城として数えられています。慶長元年(1596年)、その前年に宇和郡に入った築城の名手藤堂高虎が築城しました。関ヶ原の戦いの後、藤堂高虎が移封になります。富田家が入ったのちに、伊達政宗の長男秀宗が入封しました。伊達家2代目の宗利によって城の改修が行われ、現在に至ります。一番の特徴は城の縄張りが五角形になっていることである。通常城の縄張りは正方形であるので、籠城戦で四隅から城が攻撃を受けると逃げ道はなくなってしまいますが、五角形であると、包囲から抜けた一角から脱出や攻撃にも転じることができて、藤堂高虎の築城の技術の上手さを感じることができます。また、海水を堀に引き入れて東半分を海水の堀にして、西半分を海そのものを防御に使うなどの築城の上手さは、高虎のその後の今治城にも活かされています。

20代女性

●●愛媛県の愛南町に旅行に行ったついでに立ち寄ったのが宇和島城です。江戸時代からの天守が現存しているとのことで、初めて知ったのですが行ってきました。天守閣までの道のりは歴史を感じさせる良い雰囲気です。階段は結構急で昔ながらでした。天守閣は小高い丘の上にあったのですが、私の知ってるお城は大阪城や松山城などだったので、あまりの小ささに驚きましたが、外観も内側も、しっかりとした歴史あるお城です。天守閣まで登りました。かなり急な階段を上らなくてはならないので、ちょっと怖かったですが、歴史を感じさせる造りでした。しっかりと動ける服装で行った方が良いです。ちなみに入場料は300円です。江戸時代からの天守が現存する城は全国にも10箇所くらいしかないそうなので、見ておく価値はあるとおもいます。春に天守閣の周りの桜がきれいに咲くそうです。

30代男性

●●小高い丘の上にある小さなお城です。お城までのアクセスは、登山道のようになっていて、ちょっと大変です。藤堂高虎の築城とのことで楽しみしていましたが、天守閣に辿り着くまでにヘトヘトになってしまいました。天守閣のある頂上は芝生の生えた広場になっていて気持ち良いです。天守閣もこじんまりとはしているけど、堂々とした造りで品位があります。さすが藤堂高虎といったところです。入城料を払って天守閣の最上階まで登りましたが、こちらも急階段になっていて、ちょっと大変でした。最上階からの眺望はとても良いです。城を取り囲む宇和島の町並みを見下ろせ、西の方向には海や半島も見えます。昔は城山の麓までが海であったそうです。その頃の眺望はさぞかし素晴らしかったでしょうね。いつかまた訪れ、海に沈む夕日を天守閣から眺めてみたいなと思っています。

30代女性

●●宇和島城に登った時の感想は、小さいなこれがお城って思いました。私は松山に住んでおり松山城は何回か登ったことがありお城のイメージがそれでしたので、本当にちょっとびっくりしました。中に入るのに300円くらいかかるとのことでしたが、登ってくるまでが結構疲れたので外から眺めるだけにしました。しかし結構上の方に造られているのでその景色は素晴らしかったです。宇和島を見渡せることができ、とても癒されました。お城自体は小さいかもしれませんが、登る間に宇和島城についての資料館もありいろいろ見て回れます。そこでは宇和島城の歴史や背景など、様々なことが展示やビデオで紹介されています。ですのでそこには必ず寄って見ていった方がいいかと思います。ただ登りも下りも結構な道ではありますので、履物に注意した方がいいかと思います。

40代男性

●●大阪冬の陣で伊達家の所有となった宇和島藩の居城が宇和島城です。城の周囲は現在は住宅などの建築物に囲まれていますが、かってはお堀が周囲を巡らしているだけではなく海に面しており、愛媛県に存在する海水の堀を持つ今治城と同じく築城の名手藤堂高虎の手による城は正に難攻不落の城です。現存する天守は伊達時代の物ですが、城郭は藤堂高虎の物を踏襲しており、城下から天守へと辿り着くには姫路城のようにグルグルと回らねばならずとても疲れた思い出(笑)。最もこちらは明治期に城の大半が破却されており、木々に囲まれた自然豊かな公園を散策するような感じで天守を目指すことになります。天守周辺は天空の城ラピュタの内部のような静けさに満たされた聖域のような感じで観光客もほとんどいませんでした。玄関の付いた天守閣は現存する天守ではここが唯一と思われます。静けさと安らぎを求めるならこの城ではないでしょうか。

40代女性

●●松山市から愛媛県を南下しながらドライブした際、帰り道に立ち寄りました。江戸時代から現存する12の天守の一つで、築城の名手藤堂高虎が縄張りをしたということで、ぜひこの目で見たいと思いました。平山城で古くは海に臨んでいたということですが、海は埋めたてられていて、街中の小高い丘という感じでした。高虎の縄張りは五角形の変則的な形をしていて、堀も埋めたてられていますが、その上の道路は現在でも五角形に敷かれています。天守までは直登の階段もしくはなだらかな森の中の道かを選べますが、途中いくつかの古跡があるのでなだらかな道を上ることをおすすめします。天守の最上階までは結構急な階段を上ることになりますが、最上階からの眺めは素晴らしく、登った甲斐があったと思えます。それほど大きいお城ではありませんが、当時の様子を垣間見ることができる貴重な天守です。

50代男性

●●募集中です!

50代女性

●●宇和島は私の故郷です。小さなお城ですが、宇和島の町を見下ろしている風体がとても立派に感じます。お城までの道のりは皆さんとても大変だと書かれていますが、私はこんなものだといつも思って登っていたので気になりません。車でいかれる方は駐車場がお城の下にあるのでそちらで駐車されるといいと思います。お城にいくまでに広い芝生の広場があり、一服する場所にお勧めです。お城からは宇和島の海がみれて気持ちがいいです。今年の11月まで宇和島伊達400年祭をやっています。宇和島の町は伊達400年祭一色です。お城の城内には資料館があり、昔の宇和島の町や歴史がよくわかります。お城好きな方はぜひ入館される事をお勧めします。とてもおもしろい内容になっています。小さな町の中の小さなお城は、町民にとってはとても誇れるもので、宇和島町民であった事がとても嬉しかったです。

60代~男性

●●予讃線の終着駅宇和島市。秋ごろ駅に下り立つと、みかんの香りだ漂ってくるようです。伊予伊達藩10万石の平山城です。私、67年前にこの地で生を享け、14年間中学2年終了するまで、育ちました。そののち、広島、大阪、静岡、仙台、茨城、東京、千葉、と移転しましたが、最後の宇和島は確か22歳の時です。脳裏あるのは、とにかく昔の記憶ですから、今では大分変わってることでしょう。でもお城には良く登りました。城門を抜けると、かなりキツイ石段で、踏み面が広い為、余計疲れます。上がりきると、そこは天主の広場です。残念ながら、三層の天守閣の中には入った記憶がありません。でも、広場から見える宇和島の城下はハッキリ覚えています。入組んだ宇和島湾には小さな島々が多く、夕日が美しく映えます。後ろは遠くの方に、城山より数倍高い鬼ガ城が控えています。死ぬ前にもう一度、必ず行きます。

60代~女性

●●駐車場から天守閣までの道のりはかなり勾配が急な坂道や階段が続いており、天守閣に辿りつくまでにやや疲れを感じてしまいましたが、高台にある分景色が最高に美しかったです。この疲労感を感じさせることも、築城の名人と言われた藤堂高虎の知恵を感じずにはいられませんでした。途中には高く積み上げられた石垣を間近で見ることができ、敵が攻めにくいような構造には名人の意気込みが感じられました。天守閣はガイドブックなどを見て想像していたものよりも小さかったですが、現存ならではの天守閣は往時の面影を今に伝えており風情が感じられました。天守閣の前の広場がとても広々としており、観光客もさほど多くはなかったのでお城を背景に写真を撮るのには最適でした。天守閣からは宇和島の海や街並み、山並みなどを一望でき、疲れも吹き飛ぶほどに美しかったです。当時の天守閣が残る数少ない貴重なスポットなので、訪れる価値の高いお城だと感じました。

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